大人になって感動がなくなったなと感じることが最近多い。
これは20代の頃は全然感じなかったことなのに、30代、40代と進んでいくうちにはっきりとしてきます。
以前はあんなに夢中で読んだ小説がつまらなくなったり、映画やアニメがくだらなく見えたり、異性に興味がなくなったりといろいろ。
動物としての役割を終えようとしているとも考えられるけど、いったいその理由はどこにあるのか考えてみました。
すべて経験済みなので簡単に想像できてしまう
これはよく言われることだけど、映画も小説も未知の世界でいかに生きるかが書かれています。
「未知の世界」とは、少年から見た中高生の世界だったり、中高生から見た大人の世界だったりります。
つまり、大人を目指すためにそれぞれの年代が知るべき指針となる生き方が小説などの物語には描かれているんです。
そのため、この大人になる過程をすべて踏襲してしまった成熟した大人は、映画や小説の世界に感動することはできませんよね。
だって全部経験済みなんだもん。
私を例にとると、
人を好きになったり、嫌われたり、また誰かを愛したり捨てられたり、会社でうまくいかなかったり、出世したり、挫折したり、一発逆転したり、病気したりと、人生で起こりそうなだいたいのイベントを経験しているのです。
あとは介護と死のみです。
アイドルに夢中になったり感動したりする大人はどうよ?
という意見もあるかもしれません。
個人的な意見ではありますが、40代にもなってアイドルを追いかけている人達を見ると、やはり成熟した大人になりきれていないのかなと感じます。
すべての人がそうとは言わないけど、やはり成熟した女性との正面切った交際が苦手なんじゃないかなと思わずにはいられない。
ただ、彼らを批判したいのではなく、うらやましいんです。
40代を超えてもまだ感動できるものがあったり、若い女性に興味があるというのは「生きてる」っていう感じがあるんだろうなと。
10代、20代の頃だったら常に感じたあの「生きてる」って感じを、成熟しきれていない大人の人達は感じることができるんだと。
でも自分は成熟してしまっているからアイドルを見ても、すべてがビジネスだと感じる。
たとえば、いけてる若者はキャバクラに行かないけど、ダメなおじさんはキャバクラで慰めてもらっているのと同じに見えてしまうのです。
映画も小説も音楽も若者が主人公の成長物語
とにもかくにも、映画や小説といった物語は若者が主体であって、彼らがどのように挫折して成長するかが書かれています。
成長の方法が描かれているから観る方としてはワクワクするし、自分のこれからの人生に重ね合わせて感動するのです。
つまり、感動とは自分事なのです。
自分の人生とシンクロしているときに感動は起こるし、シンクロしていないと感動できない。
高校生の男の子が同級生に告白してカップルになる物語を、40歳のおっさんが見ても全然感動しませんよね。
そんなの経験済みだし、その後にあるもっとドキドキするような体験を知っているからです。
しかも、同級生が白血病だったり、ガンだったり、タイムスリップして消えてしまったりと、ちょっと設定は違うけど、そういう物語は何十年も前から繰り返されていて、どれもこれも「またか」ということ。
わあー、大人ってつまらねえ!
大人の思惑が透けてみえてしまうのでつまらない
さらに感動しない理由として、映画も小説も音楽もそれを作る大人達の思惑が透けて見えてしまうからです。
どんなに感動する物語だったとしても、それがマーケットに乗って誰かに消費されている以上お金が発生する仕組みになっていますよね。
たとえば、アニメの中で主人公が見たことのある清涼飲料水を飲んでいたりすると、スポンサーの力を感じますし、テレビドラマで主人公が何度もスマホをいじっていたりすると、やはり大手携帯電話会社がスポンサーとしてお金を払っているからだなと気づくわけです。
いちいちがそんな大人の気付きだらけのため、何を見ても感動できません。
しかも最近はネットで様々な情報にさらされ過ぎているため、クリエイティブな物作りの裏側が丸見えになってしまっています。
以前は近寄ることもできなかったタレントもお友達感覚だし、どうやって作っているかわからなかった映画もCG技術で簡単に作れることがわかったりして、秘密がどこにもないような感じになっています。
秘密の中にこそ感動やドキドキがあったはずなのに、大人になるとこれらの秘密がすべてわかっているため、とにかくつまらないのです。
性欲がなくなったことで感動がなくなる
そして大人がつまらない最大の問題は性欲が衰えることにあると思えてなりません。
小説だアニメだ映画だ感動だときれい事をいったとしても、人間だからその先には必ず性への希望があるからです。
誰もが性欲があるから異性と付き合おうと思うし、オシャレしようと努力するし、お金を稼いで性欲をみたそうと考えます。
もちろん性欲があるから仕事がんばります!という人はいないと思います。
しかし人間も結局は動物なので、その生の根本にあるのは異性とつきあって子孫を残すことにあると言えるのです。
しかし、30代も後半になってくると確実に性欲は落ちます。
女性は40代が性欲が強いという人もいますが、とりあえず男子に限って言えば40代になってからの性欲の衰えはものすごいものがあります。
以前は、すれ違う女性すべてが恋愛の対象に見えていたのに、40代になるとそういう気持ちも衰えてきます。
特に自分に子供がいたりすると、若い女性はみんな娘と同じに見えてしまうのです。
動物としての基本的な部分が消えそうになっているのに感動するということはあり得ないというのが私の考えなのです。
大人が感動する方法はあるのか
こういった様々な状況から、大人が感動する方法というのは年齢や性の呪縛から離れたところで感じるしかありません。
年齢や性の呪縛から離れたところとは、人間が作ったものではないところです。
たとえば年を取っても旅先の景色に感動することはありますよね。特に人の手のはいっていない雄大な自然にいだかれていると年齢を忘れて感動します。
それは、自然にできたものが自身の年齢や性別を大きくこえて長い間存在しているからだと考えられます。
人が創り出したものに感動できないのは人の思惑がわかるからというお話をしましたが、自然の思惑はこれだけ科学が進んでも今でもわかっていません。
なぜ植物は進化するのか、なぜ動物はこんなに多様なのか、突き詰めるとなぜ宇宙はあるのかみたいな。。
要するに、
わからないから人は感動するということです。
何でもわかろうとして小説や映画をたくさん観て感動することがなくなったのに、私たちが感動するのは「わからないことの中にある」って何だか不思議ですよね。
まとめ
なんかまとまりがなくなりましたが、
個人的には無理に感動を追い求めてもダメで、人が創り出したものに感動するのは青年期までという気がしています。
では、私のような中高年以上の人達が感動するためにはどうしたらいいかというと、嫌なことから逃げすぎないってことかなと思います。
というのも、大人になると嫌なことから簡単に逃げることができます。
逃げること自体は悪くないですが、本当に必要な経験や失敗も避けてしまうことがあります。
居心地のいいソファに座って好きなテレビだけ観ていても、そこで流れてくるものが何なのかは想像できてしまいますよね。
でも嫌なことや失敗は想像ができない。
嫌なこととは、自分だけが作り出した想像の産物で、実際にはとてつもない感動を含んでいる場合もあるからです。
「わからないから感動する」
というお話を先ほどしましたが、わからないことの中には「嫌なこと」「逃げ出したいこと」が含まれているというのも時々思い出したいものです。